私も人生半ばをとうに越えた。学生時代の同期生の中には長く勤めた会社を辞め、人生の再スタートを切る人達が出てきた。

若い頃から、名刺から肩書きが外れた時、人生をどう生きようかをいつも考えてきた気がする。現在も大学の講師をメインの仕事としながら、これからの生き方を考えている。最近は、環境と共生した「まちづくり」に、その道を見出せるのではないかと思うことが多い。

 先の千葉県知事選挙では、候補者の公約を見ながら「どんな千葉を望んでいるか」を自問した。海岸を埋め立てて千葉県の経済的発展を推進してきたのがこれまでなら、もう止めて欲しい。三番瀬白紙撤回を掲げ、説得力ある選挙演説にその実行力を期待できる堂本知事を選んだ。

 知事選を通して自分達の生活とはかけ離れた次元で進行していると思っていた「まちづくり」に関心が向いてきた矢先、娘が大学の卒論で、ドイツのまちづくりについて調べたいと言い出した。自分の生まれたまちを知らずして他国のまちは語れないと、船橋市役所に電話をする。「船橋のまちについて知りたいのだが」という漠とした申し出だったが、最近できたばかりの「まちづくり推進課」の担当者が対応してくれた。そして、環境共生を目指す市民のネットワークが立ち上がることを知り、その立ち上げ総会に娘と参加した。そこには、この会の仕掛け人である「まちづくり推進課」の面々をはじめ、長年地道な活動を続けている環境保全や福祉の市民ボランティアグループ、三番瀬の漁師、商店街の店主、リサイクル業者から地元大企業の環境対策担当者まで、実に様々な人々が集まっていた。この時はじめて、環境と共生した「まちづくり」は遠いものではなく身近な問題で、自分も何かできることかもしれないと感じた。そして、その会場で配られたパンフレットで、環境カウンセラーという資格があることを知った。会場にも何人かこの資格を持っている人がいた。1人ではできないが、ネットワークを組めば大きな力になる。自分がこれまで仕事や生活体験から得てきた知識やノウハウを役立てられるかもしれないと思ったのが、環境カウンセラー応募のきっかけである。次に、私の持つ経験や望んでいる活動内容を述べる。 

大学は工業意匠を専攻し、デザイナーとして自己発揮することを目指していた。当時の授業の中では、物を生み出す訓練(デッサンとか材料学、立体造形など)は受けたが、環境保全という視点は全く要求されなかった。

卒業後約10年間は、家電メーカーのデザイン部・百貨店の商品開発部で、念願の「物を生み出す」仕事に就き、そのおもしろさを味わった。新商品開発のサイクルは短く、「使い捨て」という言葉は、商品の一つの機能のように何の抵抗もなく使われていた時代であった。

子供ができ、仕事が中心だった生活が変わった。命をいとおしむ気持ちが芽生え、食べ物の安全性や、失われつつある身の回りの自然に強く関心を持つようになった。物の生産の場から、生命の生産の場に主眼が移ったのである。仕事も変えた。生活者の視点で商品を研究し、世に発信することで、メーカー・流通と、消費者を繋ぐ役目を果たすことを使命とする民間の研究所に職を得た。ここでは、衣食住にわたる商品の、機能性の比較研究が主流であったが、1990年代からは、商品や食品が廃棄されることによって起きている環境問題に焦点が当てられるようになった。これらの研究には、意識調査を通してまず生活の中のムダを見直すことから始まり、モニターを使ったテストを行い、ムダを省くための具体的ノウハウを探すという、愚直なまでに地道な手法がとられた。その結果は『TwoWay』(添付。担当記事に付箋)という情報誌になり、世に広く公表されたが、私はその編集にも携わり、現在の私の情報基盤になっている。

研究所は1998年に閉所したが、生活者の視点から発信する場が欲しくて、国民生活センターの情報誌『たしかな目』の記者にもなった(担当記事添付)。現在は大学の講師として、これまでの情報を礎に、学生と、生活に関わる物の研究をし、環境問題も掘り下げている。若い人の、物や環境への意識を高めることが目的だが、私自身勉強の毎日である。

以上のような1人の生活者としての視点、いろいろな立場で仕事をしてきた経験が、今後環境カウンセラーとしての活動に生かせるのではないかと思っている。活動の場として主に考えているのは、自分が住んでいる地域である。住みよい「まちづくり」の基盤には、ゴミ処理問題があり、その廃棄物処理を一手に担っているのは各自治体である。燃やして埋め立てるのは既に限界が見え、リサイクル率を高めることが大きな課題だが、住民と役所の意識のギャップや情報の不足がその推進を阻んでいると思えてならない。

例えば、ガラス瓶のリサイクルだが、自治体による収集が始まった当初は、キャップはしたままで出すというのがルールであったが、最近はキャップははずし「中をさっとすすぐ」というふうに変わっている。このルールがなかなか守られていない。「ゴミの出し方」のパンフレットには「キャップははずし、中をさっとすすぐ」という注意書きがあるが、(   )付きの為、私などは補足説明だと思い、さして気に止めなかったのだが、重要項目に(   )を付けるのが役所方式だと市の担当者に聞いて驚いた。このような行政と生活者の意識のギャップや情報伝達不足はまだまだある。以下に簡単にのべると、

不燃物の出し方ルール

わが市では、不燃物の日は月に1回。指定の袋に、乾電池から電球、割れた茶碗、ひいては壊れた家電品まで何でも入れる。市ではこの袋の中身を、手作業で分類している。危険極まりない作業を黙々とこなしてる人たちがいることを市民は知らない。また、市民はもっと細かく分類して出すことができることを市に伝え検討するすべはない。

古紙の出し方のルール

新聞と雑誌は一緒にした方がいい紙ができますと、新聞社は言う。一緒に出したのではただのゴミのなるというのが我が市のルール。なぜなのか説明しないと、ルールは徹底できず、せっかく出した古紙も燃されているのか。もっと細やかで、新しい情報が市民に浸透する必要がある。官民が共にゴミ問題を考える場として、例えば、市のホームページにゴミ最新情報コーナーを設け、環境カウンセラーが運営に加わるなどはどうであろうか。「まちづくり」や「リサイクル」は行政だけに任せていたのでは進まないのである。

 

子供が生まれた20年前には、カエルの鳴き声が聞こえた我が地区で、自分の孫は無理でも、その子供たちには、鳴き声を再び聞かせるのが夢である。

生活者が主体的に関わってこそ、より住みやすいまちになる。自治体の苦労が理解でき、地域の要望がわかる、そんな市民と各自治体のパイプ役になれたらと思う。